三代目襲名 (1974)

「山口組三代目」の続篇。前作で兄弟分を斬った田岡一雄が刑期を務め、出所後三代目襲名という名実ともに山口組の頂点に立つまでを、戦中、戦後の混乱期を背景に描く。原作は「実録山口組三代目・田岡一雄自伝」。脚本は高田宏治、監督は小沢茂弘、撮影は仲沢半次郎がそれぞれ担当。

監督: 小沢茂弘
出演:高倉健、松尾嘉代、河合絃司、大木実、南利明、待田京介、安藤昇、山本麟一、渡瀬恒彦、渡辺文雄、田中邦衛、天津敏

三代目襲名 (1974)のストーリー

昭和十二年二月、山口組若衆・田岡一雄(高倉健)は、二代目・山口登(水島道太郎)に反抗した大長八郎を殺害、八年の刑を宣告され京都刑務所に服した。昭和十五年七月、山口登は、興行のもつれから、東京・浅草で下関の荒政組関東支部の謀略にかかり、瀕死の傷を負って入院し、かけつけた舎弟分の古川松太郎( 河合絃司 )、森川盛之助(田島義文)らに「田岡を三代目に」と話した。(山口登はこの傷が原因で後に死亡した)。昭和十八年、皇記二千六百年の恩赦により、田岡は出所、山口組の跡目は田岡に、という二代目の遺言を伝えられた。公民権のない田岡には兵隊に行く資格がなく、人には言い知れぬ淋しさをまぎらわすため連日賭場に足を運んだ。ある日、田岡は道でいやがらせを受けている女浪曲師・天遊軒清月(篠ひろ子)を救けてやったことが縁で清月の舞台を見に行った。ところがその興行が地元・山口組に挑戦するがごとく、荒政組の主催であったため、双方の対立は一段と激しくなった。十九年五月二十六日、妻・ふみ子(松尾嘉代)との間に長男・満誕生。二十年二月頃から神戸に対する米軍の本格的爆撃が始まり、六月、古川松太郎が空襲により死亡した。同八月十五日、終戦による混乱に乗じて、不良外国人は、外国人聯盟を結成、彼らを基盤にした集団テロ、略奪を始めた。婦女暴行という現場を見せつけられた田岡は、外国人聯盟会長・朴基栄(渡辺文雄)を倒すべく出向くが失敗。だが、田岡と心を同じくする国士館大生の大西利一(奈辺悟)、佐藤淳郎(白井孝史)らを知り、復員してきた岡精義(山本麟一)、山田久一(唐沢民賢)らを加え組織は昔日の片鱗を取り戻して来た。そして山口組自警団を結成、不艮外国人と対立した。そんな田岡ら一行を羨望の眼差しで見ている若者がいた。地道行雄(渡瀬恒彦)である。不良外国人が交番を襲撃するという通報を聞いた地道は、遅れて来た田岡たちと共に外国人たちを叩きふせた。そして田岡は執拗に子分にしてくれ、と頼む地道に根負けし盃をくみかわした。日をおってエスカレートする不良外国人の暴虐さに根を挙げた警察は、山口組自警団に警備を依頼した。やがて、自警団と外国人聯盟との間に死闘がくり返され田岡自身も傷を負うが、朴を倒す。翌日、外国人同盟は田岡個人に対し決闘を申し込んだ。死を決意した田岡は、吉川と共に本部に乗り込み、危機一髪の所を、直情径行の男・菅谷政男(通称ボンノ)(安藤昇)が拳銃片手に屈強な部下を引きつれてなだれ込み、田岡の危機を救った。昭和二十一年、須磨・延明軒において、田岡一雄の三代目襲名式が行われた。昭和二十四年、春。神戸港の荷役業者を集めて港洞会を結成、自ら会長に就任、つづいて神戸芸能社を設立し、ここに山口組は盤石の基礎を囲めたのである。

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